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ワーテルローの戦いでフランス軍は3万を失い

ワーテルローの戦いでフランス軍は3万を失い、連合軍も25,000の死傷者を出した。ナポレオンは退位してイギリスへ亡命し百日天下は終わった。ナポレオンはイギリスのプリマスへの上陸を求めたが、ヨーロッパの混乱の元凶はナポレオンにあるとされ、ベルトラン、モントロン、グルーゴの3人の将軍とともにセントヘレナ島に流された。

この戦いの後ワーテルローにはライオンの丘が築かれた。頂上にはナポレオン軍の大砲を鋳潰してつくられたライオンの像がある。ウェリントン公はこの丘を見て「なんて事をするんだ。私の戦場が台無しではないか。」と叫んだといわれている。

この戦いを主戦場の名を取りラ・ベル・アリアンスの戦いと呼ぶこともある。ウェリントンが司令部を置いた村落の名から勝手にワーテルローと命名したことに対して、戦局をひっくり返したプロイセン軍のブリュッヒャー元帥はそれが気に入らず、自分たちが活躍した主戦場の名を命名した。今でもドイツではこの名前の方が通りが良い。
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当時世界経済の中心だったイギリスの株式市場は、その座をフランスに奪われるか否かの運命が掛かったこの戦いの勝敗に注目していた。そんな中、ナポレオン敗北の報をいち早く入手した銀行家ネイサン・メイアー・ロスチャイルドは、後に「ネイサンの逆売り」と呼ばれる株式売買で巨額の利益を獲得、ロスチャイルド財閥の礎を築いた。

1994年に英仏海峡トンネルが完成し、パリとロンドンを結ぶ高速列車ユーロスターが運行を開始した際、ロンドン側ターミナルが皮肉にもウォータールー駅であった。このため、フランス側は、幾度となく駅の改名や変更を求めたという。

2007年にはイギリス国内の高速新線が完成し、ターミナルもセント・パンクラス駅に変更されたため、ようやくフランス側の悲願が叶った。

当時ウェリントン公の秘書官を務めていたラグラン男爵・フィッツロイ・サマセットは、この戦いで右腕を負傷し切断を余儀なくされた(ラグラン袖は彼の失われた右腕に合わせて作られたものである)。彼は後に陸軍最高司令官となり、クリミア戦争の総指揮を執る事になる。

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2009年06月03日 10:58に投稿されたエントリーのページです。

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